あたたかな右の手

The warm right hand







 あたたかな右の手に、何かを感じて、あの真剣な表情に、何か心奪われてしまっていた。花屋にあるような、色彩豊かな花束を可愛いと思うように。





「…らっしゃいー」
「こんばんはー」



 昔から家の近くにあるバッティングセンターはあたしのお気に入りの所。よく父親と来ていたけれど、今は仕事の関係で一緒に来ることは滅多にないのである。昔からよく行っていたし、キャッチボールもしていたから野球は好き。だから中学の時はソフト部入ってめいいっぱい頑張った。でも、高校に入るとソフト部はなくて、帰宅部に結局決めてしまった。野球部のマネージャーでも良かったけど。


ちゃん、親父さんは?」
「今日も仕事で遅くなるってさ」
「寂しいねェ。でもちゃんだけ来てくれてるのはいいか」
「アハハ。こんなとこにちょくちょく来る女の子はいないしね」


 店のおじちゃんは、昔から仲良くて、気さくに話してくれる。というか、昔初めて来たときに全然打てなくて、おじちゃんに馬鹿にされたんだっけ。それで、馬鹿にされたことが嫌で毎日通ったんだっけ。それで、通い続けて1ヶ月掛かって、打てたんだよ。それで、そのお祝いにジュース奢ってもらった。あの時のジュースの味は忘れられない想い出。懐かしいなぁ。今は女の子として見てくれないけど。



「そういえば、また来てるよ彼」
「え?」
「忘れたのかい?あの、ちょっとツラがいい兄ちゃん。同じ学校なんだろ?」


 同じ学校で、ちょっと顔がいい…?野球部、って誰がいたっけ。えっと、あのうちの名門で2年でエースになった…、た、高瀬準太?だったけ。クラスの女子が騒いでて、有名な奴。


「あー、うん。いちお、知ってる人」
「一応、って何だそりゃ」
「あんまり、そういうの興味なくて」
「でも有名なんだろ、男に疎いちゃんが知ってる程」
「うるさいなぁー。確か、ピッチャーやってる人、って聞いたけど」
「でも、いい感じだけどな。身体は細いけど」


 おじちゃんが指差す方には、ある意味有名な高瀬準太という人物が立っていた。少し遠くだったから、顔はぼんやりと見える程度だった。でも、そこからカキーン、と気持ちいい金属バッドの音が聞こえてくる。あんまり、知らない背格好。野球は好きだけれど、あんまり野球部に興味を持つことはなかった。高校に入る時も、名門だとは聞いていたけれど、あんまり気にならなくて入部なんて考えもしなかった。でも、そんな有名な高瀬準太はこんなところにいるのだろう。このバッティングセンターは駅近くにあるわけでもないし、学校から近いというわけでもないのに。


「まぁ、あたしには全然関係ないけどね」
「彼氏でも作ればいいじゃねぇか。あの高瀬とかいう男とかどう?」
「…あのねぇ、そんなこと云われたら高瀬準太目当てに来てるって思われる」
「いっそ、そうしたら?」
「関係ないって!じゃあ、ちょっくら打ってくるよ」


 つまんないなー、というおじちゃんを無視して、マシーンにお金を入れてさっさと始める。最近忙しくてあんまり来てなかったから、腕は鈍ってるかな…。前まで大して速いと思わなかったキロ数なのに。



「女なのに、結構いい球打つなー」


 女なのに、っていう言葉は一番嫌い!しかも、聞いたことがない声だったから抗議してやろうかと思って後ろに振り返ると、その知らない声の持ち主は、あぶねぇ!とあたしに(たぶん)向かっていった。そしたら、背中に何か当たった痛みがあって、あたしは前に倒れこんだ。



「…ちょっ、お前大丈夫かっ!?」
「どーもこーも、アンタのせいじゃないのっ!」
「そんだけ云えるなら、大丈夫だな」
「大丈夫もなにも、さっきの言葉撤回してちょうだい!」


 何事?とそこらへんにいた人たちがわらわらと集まってきて、とうとうおじちゃんまで救急箱を持ってやってきた。でも、プロ野球選手が投げるような球を打っていたわけじゃないからそこまで痛くなかった。違う、もっと嫌なのは、この高瀬準太の言葉だ!むかつくむかつく。お父さんにもおじちゃんにも、女だからしょうがないなぁ、とか云われ続けて、それ以来その言葉が大嫌いになった。


「あー大丈夫ですから、おじちゃんも救急箱なくても大丈夫!」
「…なら、いいんだけどよぉ。おい、兄ちゃん。この子になんかしたら許さないよ」
「おじちゃん!余計なこといわなくていいって!」


 あたしが大丈夫、と云うとおじちゃんや知ってる人たちが離れていく。心配してくれてありがと、という気持ちは今はなく、ふつふつと高瀬準太への怒りの思いが募っていった。高瀬準太はあたしが地面に座っているのを見降ろしていた。むかつく!何、あたしを馬鹿にしてるのか!


「あー…っと、とりあえず大丈夫か?」
「心配してくれなくて、結構」


 お尻についているゴミをパンパンとはらうと、立ち上がり、キッと奴を睨みつける。


「取りあえず、悪かったな、声かけて」
「別に、これくらいどうってことない。もう大丈夫だから、帰っていいよ」
「…本当に大丈夫なんだな?」
「大丈夫だって云ってるじゃない」
「ならいいけど。ぶつけた後が残ったらちゃんと云えよ。サン」


 何で、コイツがあたしの名前知ってるの、と疑問に思うと高瀬準太は鞄を肩にかけて歩き出しながら、片手をひらひらと振っていた。ど、どういうことなのよ!あたしは、高瀬準太と話した覚えもないのに。大して目立つことをやったこともない。なんかむかつく。あっちのほうが上手な気がして。



「なんなのよー、高瀬準太!」




 小さなバッティングセンターに叫ぶ声は、呼んだ名前の人物に聞こえるはずもなく、真っ暗な夜に消えていった。




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